プロフィール

榎田大樹投手 プロフィール

名前 榎田 大樹 (えのきだ だいき)
背番号 13
生年月日 1986年8月7日
身長 179 cm
体重 83 kg
血液型 AB
投打 左投左打
主な球種 ストレート、カーブ、スライダー、カットボール、スクリューボール、フォーク
出身地 鹿児島県曽於郡大崎町
経歴 大崎中 – 小林西高 – 福岡大 – 東京ガス – 阪神
ドラフト 2010年1位
推定年俸 1年目(2011年):1,500万
2年目(2012年):3,400万
テーマソング FIREWORKS(EXILE)

榎田大樹投手の略歴

小学校~社会人時代

榎田大樹投手は、鹿児島県出身で3兄弟の長男。多くのプロ野球選手がリトルリーグなどの「少年野球」が原点なのに対し、榎田が野球を始めたきっかけは地元の『大崎ソフトボールスポーツ少年団』への所属でした。このチームには、福留孝介(カブス)や赤田将吾(オリックス)、松山竜平(広島)も在籍していました。

さて、榎田投手はご存知のように左投げ。でも実は、右利きなんです。では、なぜ左投げになったのか?それは、「野球を始めた時、左投げのグローブしかなかったから。」強制的に左投げになってしまったわけですね。

その後、大崎中学校で野球部に所属し、投手と外野手を兼任。高校進学は、お隣りの宮崎県にある小林西高校へ野球留学するも、残念ながら甲子園出場は果たせませんでした。ちなみに、榎田投手の入場曲となっている「FIREWORKS」は、EXILEのパフォーマー・KEIJIが小林西高校野球部の先輩であることがきっかけで使用されるようになりました。

高校卒業後は、福岡大学に進学。このとき、1学年上には白仁田寛和投手、後に1学年下には甲斐雄平選手という、現在阪神タイガースに所属する選手たちとともにプレーしています。4年生の春にはリーグ優勝に貢献するなど活躍しましたが、プロから声はかからず悔しい思いをしています。

そんな榎田投手が一躍脚光を浴び始めたのが、社会人の東京ガスに入社してからのことです。1年目・夏の都市対抗野球大会では、チームをベスト8に導き、新人選手が対象となる『若獅子賞』を受賞。2年目には、中国・広州で開催されたアジア大会日本代表にも選ばれました。

榎田投手が、プロでめざましい活躍を遂げている理由の1つが、この社会人時代の投球フォームの修正。下半身主導のフォームを作るために、左腕のテークバックを小さくとるように。その結果、上半身に“タメ”ができ腕を振り抜く直前に「打者の動きが見える」ようになったのです。

阪神タイガースが榎田投手を「ドラフト候補」としてリストアップしたのが、2010年5月。球団関係者は、大学・社会人の左腕投手としてはトップクラスとの評価をしています。この年、後にドラフト史上初となる「同一大学から3人のドラフト1位指名」となった早稲田大学の斎藤佑樹、大石達也、福井優也をはじめ、中央大学の澤村拓一などはいずれも右投手。榎田投手は、数少ない「即戦力左腕」として注目されていました。

運命のドラフト会議~プロ初のキャンプ・オープン戦

2010年10月28日、運命のドラフト会議当日。阪神タイガースは予定通り、大石を1位で指名しますが、6球団と競合。抽選に敗れ、「ハズレ」ながら榎田投手を1位で単独指名します。

榎田投手は、この模様を東京ガス合宿所で同期の美馬(楽天から2位指名)とともに食い入るように見つめ、自分の名前が映し出されると歓喜の声を叫んだそうです。記者会見からおよそ1時間後、真弓監督から指名のあいさつを受けて、ますます興奮した榎田投手は、プロでの活躍を誓いました。このとき、真弓監督から記念として、ドラフト会場入館のパスとバッジをプレゼントされたとのこと。

12月6日に行われた阪神タイガース新人選手発表会見で、「背番号13」の真新しい縦縞のユニフォームに初めて袖を通しました。13番といえば、2010年まで在籍した金村暁の引退にともなって空き番となっていたもの。2002年に引退した葛西稔以来、目覚ましい活躍が見られない「13」番のイメージを一新すべく、榎田投手には期待がかかります。

プロ1年目、沖縄・宜野座で行われた1軍キャンプに、新人選手では唯一メンバーに選ばれ、メキメキと頭角を現します。キャンプ中盤には、ストレートにカーブ、スライダー、カットボール、スクリューボール、フォークなど、球種の豊富さも披露してくれました。

オープン戦ながら、記念すべきプロ初登板となったのが2011年2月26日。安芸市営球場で行われたオリックス戦に先発を任されます。3回を1安打無失点に抑え、堂々のデビューを果たしました。その後も活躍を続け、阪神の新人投手としては2005年の能見、橋本以来6年ぶりとなる「開幕1軍」の切符を手にしました。

プロ1年目(2011年)のシーズン

プロデビュー戦となったのは、4月16日の中日戦(ナゴヤドーム)。2回を投げ1安打無失点。同点で迎えた緊迫した場面での登板も堂々と投げ抜き、初ホールドを挙げています。このとき、プロ初奪三振を中日・グスマンからマークしました。

4月2021日には、甲子園球場での巨人との「伝統の一戦」に連投し、いずれも無失点で切り抜け、早くも「Gキラー」ぶりをアピールしてくれました。その3日後、甲子園球場での横浜戦でプロ初失点を献上。ストライクを揃えすぎたと反省のコメントを口にしました。

プロ初勝利を挙げたのが15試合目の登板となった5月24日、甲子園球場での西武戦。ここまで不調にあえぐ「KKK(トリプルK)」の久保田・小林宏に代わり、セットアッパーを任され続ける榎田投手は、2回を無失点に抑えます。

この日は先発・下柳が早々と降板し、勝ち投手の権利が誰に付くのかが微妙だった試合展開に、自身に「勝ち」が付くのを9回になって初めて知ったそうです。お立ち台では満面の笑みを浮かべ、喜びと初々しさが伝わってきました。ヒーローインタビュー全文はこちら

ウイニングボールを藤川球児がスタンドに投げ入れてしまうハプニングもありましたが、その後無事に榎田投手のもとに。ボールは両親に渡したいと語りました。

その次の登板となった5月28日、Kスタ宮城での楽天戦では、横川にサヨナラタイムリーを浴びプロ初黒星を喫してしまいます。しかし、この試合まで中継ぎながら11試合連続で無失点。

7月4日には監督推薦でオールスターゲームに選出されました。阪神タイガースの新人選手としては、1994年の藪恵壹投手以来、17年ぶりの快挙達成です。

7月7日、ナゴヤドームの中日戦でプロ初セーブを達成。阪神で、藤川球児以外の投手がセーブを挙げるのは、2008年8月25日・ヤクルト戦のジェフ・ウイリアムス以来、約3年ぶりの出来事でした。

7月22日、オールスターゲームに初めて出場。ナゴヤドームで行われた第1戦、榎田投手は3回表に登板し、1回を1安打1失点。公式戦では打たれていないホームランを、日本ハム・稲葉に打たれてしまいました。

翌23日の第2戦(QVCマリンフィールド)でも登板。オールスターでの連投は、阪神タイガースの新人投手としては江夏豊氏以来、44年ぶりの快挙です。

9月11日、神宮球場でのヤクルト戦で、4番・畠山にプロ入り後初めてホームランを許してしまいます。榎田投手にとってプロ47試合目、207人目の打者でした。

10月21日、甲子園球場の横浜戦で61試合目の登板。阪神タイガースの新人投手として、シーズン最多登板記録を56年ぶりに更新しました(これまでの記録は1955年の西村一孔投手)。

12月7日、プロ初の契約更改交渉にのぞみ、阪神の新人投手としては史上最高額となる、3,400万円でサインしました。1年目の年俸(1,500万円)のおよそ2.3倍と、球団から高評価を受けました。(金額はいずれも推定)

榎田投手、ここまでの主な記録

初登板 2011年4月16日(VS中日戦 @ナゴヤドーム)
初勝利 2011年5月24日(VS西武戦 @甲子園球場)
初セーブ 2011年7月7日(VS中日戦 @ナゴヤドーム)
初黒星 2011年5月28日(VS楽天戦 @Kスタ宮城)
初ホールド 2011年4月16日(VS中日戦 @ナゴヤドーム)
初奪三振 2011年4月16日(VS中日戦 @ナゴヤドーム) 打者:グスマン
初失点 2011年4月24日(VS横浜戦 @甲子園球場)
初被安打 2011年4月16日(VS中日戦 @ナゴヤドーム) 打者:森野
初被本塁打 2011年9月11日(VSヤクルト戦 @神宮) 打者:畠山
初与四球 2011年4月16日(VS中日戦 @ナゴヤドーム) 打者:和田
初与死球 2011年4月16日(VS中日戦 @ナゴヤドーム) 打者:大島

(以上、2011年12月7日現在)

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